明治時代の日本語における文字・表記の画一化について
序章
第1章 明治前期の出版物における平仮名字体の使用傾向について
第2章 明治前期の活版印刷本における平仮名字体数と印刷者との関係について
第3章 明治初期における仮名遣い規範について――綴字教科書・辞書を資料として――
第4章 幕末の仮名遣いについて――自然科学書と漢文注釈書における実態、仮名遣い書等における規範――
第5章 明治時代の文典における口語の仮名遣い規範について――用言の音便形に注目して――
第6章 禁則処理の実態と印刷者の関係について――『太陽コーパス』を資料として――
終章
本論文は、明治以降の日本語の文字・表記における画一化の一側面を明らかにするものである。具体的に、本論文は明治時代の印刷物における平仮名字体と仮名遣いという、文字・表記体系の中の2つの要素に着目し、それらに見られる画一化をとりあげた。なお、本論文において、文字・表記の実態とその規範を区別して考察を行った(この区別は築島(1986:6)に基づく)。以下、本論文における文字・表記の実態と規範、そしてこれらにおける画一化の捉え方について簡単に述べ、各章の概要を紹介していく。
文字・表記の実態は、あらゆる著作物において実際に文字・表記が使用されているあり方として捉えた。文字・表記の形式(例えば、仮名の字体、または仮名遣いの形式)と、それと対応している言語現象(例えば、音韻・音形または語・語義)との間の対応関係が一対一に近づいていくことを、文字・表記の実態における画一化として捉えた。このような画一化は、第1章と、第2章、第4章、第6章で取り上げた。
文字・表記の規範は、文字・表記の正しい使い方の規則や決まりを指す概念として捉えた。文典や、辞書、そして文章法を説く書は文字・表記の規範を知るための重要な手がかりになるが、一方、その他の著作においても、特定の文字・表記の使い方を評価する、もしくは否定する記述もその当時に意識されていた文字・表記規範を端的に示す資料になる。文字・表記の形式とそれと対応する言語現象との間の対応関係を、一対一の対応に近い規則や決まりが規定され、その規則が多くの人々の間に定着していくことを規範の画一化として捉えた。このような画一化は、第3章と、第4章、第5章で取り上げた。
第1章は、明治元年から33(グレゴリオ暦1868~1900)年までの印刷物(整版本、整版本草双紙、活版本)において平仮名字体が使用されている数の推移を確認した。結果として、明治初頭の平均使用字体数は整版本・活版本ともに高く、時代が下るにつれて減少していくのだが、活版本での平均使用字体数が整版本より速いペースで減っていくことがわかった(図1参照)。また、明治25(1892)年頃には活版本での使用字体数が55字体程度(仮名の音節と仮名字体がほぼ一対一の状態)に収斂していることが確認された。明治20年から22(1887~1889)年の間に平均字体数が10字体ほど減少していることが定量的な調査を通して確認された。この結果は、「明治22年をはさむ前後数年は、変体仮名から近代仮名へ、活字字母の近代化がかなりの程度に(ただし、印刷所単位の規模で)進んだらしく」と、指摘にとどまった三好(1977:106)の記述を裏付けるものである。
明治33(1900)年の『小学校令施行規則』には、児童の教育に使用する仮名字体の一覧表を示しているものが含まれている。この『小学校令施行規則』の発布をもって平仮名字体の画一化が行われたと考えられてきた。しかし、第1章での結果をふまえて考えると、『小学校令施行規則』のこの字体表が画一的な文字使用を新たに制定されたというより、活版本にある画一的な平仮名字体の使用実態を追認したものとして制定されたと捉えた方が適切であろう。
第2章は、活版本に使用されている平仮名字体の数が急減した明治20年前後に着目するものである。この急減の背景に、三好(1977:106)における「ただし、印刷所単位の規模で」の記述を踏まえて印刷者側の事情が要因の一つであるという仮説を立てて、調査を通してこの仮説を検証した。平仮名字体の使用傾向と印刷者の関係の有無を確かめるために、同一の出版者または同一の印刷者によるもので、明治20年頃の活版印刷本を調査した。春陽堂出版の資料を重点的に調査し、印刷者によって使用されている平仮名字体数が異なっていることが確認された(表1、表2参照)。また、瀧川三代太郎が印刷者として記載されている資料を調査し(図2参照)、明治23(1890)年の前半以前の資料と、明治24(1891)年の後半以降の資料(図2中の点線の左右)との間に差があることを確認し、印刷所の中での何らかの変化がこの傾向差に関わっている可能性があると推測した。このように、平仮名字体の使用傾向の変化に関する一因として印刷者側の事情が挙げられると考えられる。
【表1】春陽堂出版、長尾景弼印刷の資料における平仮名字体数
出版年月 | 書名 | 著編者 | 印刷者 | 字体数 |
---|---|---|---|---|
M.24.07 | 『三日月』 | 村上浪六 | 長尾景弼 | 58 |
M.24.08 | 『維新豪傑談』 | 西村天囚 | 長尾景弼 | 57 |
M.24.09 | 『春廼家漫筆』 | 尾崎紅葉 | 長尾景弼 | 62 |
M.24.09 | 『近世地理学』 | 松島剛 | 長尾景弼 | 55 |
M.24.10 | 『伽羅枕』 | 尾崎紅葉 | 長尾景弼 | 63 |
M.24.11 | 『油地獄』 | 斎藤緑雨 | 長尾景弼 | 56 |
M.24.11 | 『丸二ツ引新太平記』 | 山田美妙 | 長尾景弼 | 74 |
M.24.12 | 『井筒女之助』 | 村上浪六 | 長尾景弼 | 62 |
M.24.12 | 『後の月かげ』 | 和田篤太郎 | 長尾景弼 | 76 |
M.25.01 | 『黄金村』 | 石橋忍月 | 長尾景弼 | 65 |
M.25.02 | 『二人女』 | 尾崎紅葉 | 長尾景弼 | 63 |
M.25.03 | 『さゝきげん』 | 幸堂得知 | 長尾景弼 | 64 |
M.25.03 | 『友禅染』 | 巌谷小波 | 長尾景弼 | 60 |
M.25.06 | 『奴の小万』(初版) | ちぬの浦浪六 | 長尾景弼 | 59 |
平均 | 62.4 |
【表2】春陽堂出版、根岸高光印刷の資料における平仮名字体数
出版年月 | 書名 | 著編者 | 印刷者 | 字体数 |
---|---|---|---|---|
M.22.08 | 『通俗病理問答』第一巻 | 谷口吉太郎 | 根岸高光 | 51 |
M.22.10 | 『会社流行之結果如何』 | 大沢邦太郎 | 根岸高光 | 50 |
M.25.03 | 『みだれ咲』 | 三宅花圃 | 根岸高光 | 50 |
M.25.04 | 『五枚姿絵』 | 広津柳浪 | 根岸高光 | 49 |
M.25.06 | 『幻影』 | 宮崎湖処子 | 根岸高光 | 50 |
M.25.11 | 『狂言百種』(5〜6号) | 河竹黙阿弥 | 根岸高光 | 50 |
M.25.12 | 『三人妻』 | 尾崎紅葉 | 根岸高光 | 52 |
M.26.03 | 『破太皷』 | 村上浪六 | 根岸高光 | 49 |
M.26.05 | 『恋の病』 | 尾崎紅葉 | 根岸高光 | 49 |
M.26.07 | 『塙団右衛門』 | 宮崎三昧 | 根岸高光 | 55 |
M.26.10 | 『こぼれ萩』 | 中村花痩 | 根岸高光 | 49 |
M.26.10 | 『をとこ心』 | 尾崎紅葉 | 根岸高光 | 50 |
平均 | 50.3 |
第3章は、明治初期の辞書と綴字教科書を資料として、仮名遣い規範を確認した。先行研究では、近代以前の書物における仮名遣いの規範を調査し、「歴史的仮名遣い」との一致率などを取り上げるものはあるが、「歴史的仮名遣い」の明確な定義が行われてこなかった。本章は、契沖の『和字正濫鈔』および、この書を祖とする近世の仮名遣い書9点(以降、この計10点の書物を「近世の歴史的仮名遣い系の仮名遣い書」と呼ぶ)に示されている仮名遣いを「歴史的仮名遣い」として捉えることとした。本章の調査は、明治初期の辞書と綴字教科書に示されている仮名遣いと、近世の歴史的仮名遣い系の仮名遣い書や、『日本国語大辞典』に掲載されている歴史的仮名遣い(以降『日国』と呼ぶ)と比較した。
調査の結果、明治初期の綴字教科書や辞書における仮名遣いが概ね歴史的仮名遣いと一致していることが明らかになった(表3参照。なお、本発表では綴字科教科書のデータのみを示しているが、辞書にも同様の調査結果が得られた)。『日国』と比較して一致しない語もあったが、この大部分は近世の歴史的仮名遣い系の仮名遣い書と同じ仮名遣いとなっていることがわかった。このように、明治初期の綴字教科書や辞書に、概ね個々の語に一つの仮名遣いのみ示す画一的な仮名遣い規範が確認でき、掲載される仮名遣いが近世の歴史的仮名遣い系の仮名遣い書の在り方を引き継いでいると考えれる。このように、明治初期には既に歴史的仮名遣いに基づく表記規範の素地ができていたといえる。
第3章で見たように、明治初期の段階で、歴史的仮名遣いという仮名遣い規範の素地が既にあったとすれば、幕末以前にも歴史的仮名遣いの素地があった可能性があると考えられる。第4章は、時代を遡って幕末期の自然科学書および漢文注釈書を調査し、画一的な仮名遣いの実態があることを確認した。また、幕末期の仮名遣い書を取り上げ、古典解釈関係や歌学関係の人の他に、農学者や武士によって作られた仮名遣い書もあることを指摘した。さらに、幕末以前の節用集を調査し、仮名遣い規範に直接的に関わる記述を含み、仮名遣い規範を評価しているものが一部あることを指摘した。このように、国学の世界以外にも画一的な仮名遣い規範意識があったと可能性があると指摘した。先行研究では、近代に歴史的仮名遣いが採用された背景に、教育政策への国学者の関与、あるいは復古思想があったとされている。しかし、第4章の調査により、幕末期、すなわち明治維新より前の時点で、洋学者と漢学者による著作に画一的な仮名遣いがあり、国学者以外の知識層の人物にも仮名遣い規範意識があったことを指摘した(表4参照)。
第5章は、明治時代に作られた文典を資料として、用言の音便形に関する仮名遣い規範を調査した。調査資料のうち、音便形の仮名遣いに触れるものは多くなかったが、音便形の仮名遣いに関する記述を含む文典において、次の傾向が明らかになった。明治33(1900)年には音便形のままの仮名遣い(例えば「書いて・読んで」のような仮名遣い)を使うべきとする資料が増えることが明らかになり、屋名池(2011)における記述を定量的な調査で検証することができた。また、明治28年より明治32(1895~1899)年にかけてイ音便・ウ音便は音便形のままの仮名遣い、促音便・撥音便は音便化以前の仮名遣い(例えば「立ちて・読みて」のような仮名遣い)が正しいとしている資料が確認され、音便形のままの仮名遣いで書く表記規範が文典に定着する流れのうち、先にイ音便・ウ音便が定着し、後に促音便・撥音便が定着するという段階性があることを指摘した。
第6章は、明治後期から大正時代にかけての禁則処理の実態に着目した。禁則処理は、組版のルールの一つとして、版面における文字の並べ方に関わる事象である。『太陽コーパス』を調査資料として、行頭に句読点や踊り字などの符号が現れる例数(現代では禁則処理の違反のみなされる組版のあり方)を確認した。句読点が行頭に現れる例数が総じて低いこと、一方、踊り字が行頭に現れる例数が各号の印刷者によって異なっていることが明らかになった(表5、表6参照)。この事実を踏まえて、明治後期から大正時代にかけて、禁則処理の対象に含める文字や記号の範囲が印刷者によって異なっていた可能性があると指摘した。
以上のように、本論文は平仮名字体の使用の実態、仮名遣いの実態と規範、そして禁則処理の実態といった側面から、明治時代の日本語における文字・表記の画一化を論じた。
井之口有一(1953)「明治以後におけるかなづかい問題」『国語シリーズ』12、文部省
木枝増一(1933)『仮名遣研究史』賛精社
白石良夫(2008)『かなづかい入門―歴史的仮名遣vs現代仮名遣―』平凡社
築島裕(1986)『歴史的仮名遣い――その成立と特徴』中央公論社
永山勇(1977)『仮名づかい』笠間書院
古田東朔(1957)「教科書から見た明治初期の言語・文字の教育」『国語シリーズ』36、文部省(『近現代日本語生成史コレクション』第5巻(2013年
くろしお)に採録)
三好行雄(1977)「〈文献学の恐さに無知な蛮勇〉について」『文学』45巻2号、pp.98-107、岩波書店
屋名池誠(2011)「表記法と近代の表記」『国語国文学研究の成立』pp.225-239、放送大学教育振興会
山田孝雄(1929)『仮名遣の歴史』宝文館
柳河春三『うひまなび』明治2年頃刊、上州屋摠七〈特44-45〉
古川正雄『絵入智慧の環』初編上・下、明治4年刊、古川正雄〈特38-640〉
古川正雄『ちゑのいとぐち』明治4年刊、青山堂〈特36-371〉
榊原芳野『小学綴字書』明治7年刊、文部省〈特34-878〉
榊原芳野『小学綴字翼』明治8年刊、温古書屋〈特34-879〉
小学館国語辞典編集部『日本国語大辞典』第二版、2000~2002年、小学館
国立国語研究所『太陽コーパス――雑誌『太陽』日本語データベース――』、2005年、博文館新社
※国立国会図書館デジタルコレクション(http://dl.ndl.go.jp)を通して調査した資料は、請求番号を山括弧内に示した。
※表1と表2に、表の中に各資料の基本情報を示しているため、ここには再掲しない。
By mojilove on 2025-01-07